#Brico.

「たしかにそこにいるんだけど、そこにいない。」縦と横のオマージュとデザイン。


「たしかにそこにいるんだけど、そこにいない。」

「たしかにそこにいるんだけど、そこにいない。」

○たしかにそこにいるんだけど、そこにいない。こと、を考えている。
レイヤーを重ねて自由になる、チシャ猫、ハックする、スキマをつくる…今までいろいろな言葉で考えてきた。

一番最初は、たぶん、井庭崇先生とドミニクチェンさんの対談で、レイヤーを重ねてそこで自由になる、というお話を聞いてからだと思う。
創造社会団というプロジェクトで、この話をパターン・ランゲージで記述もしたけれど、「ブリコラージュする」ことと、「レイヤーを重ねて自由になる」のパターンが、今でも私の中心にある。

それから、社会人になってからは特に、期待されたり与えられたりすることをしながら別のことをすること。守られている場所にいて、そこで役割を果たしながら(労働しながら)、別のことを考える。ことをとても意識するようになった。

他の人の言葉を、勝手にだけれど、借りてみたらこれは
東浩紀さんの、「あることを目的としながら、他のことをしている」。誤配の話や、観光客の存在に関する話ととても近いことだと思っているし
宮台真司さんの、「なりすまし」の話にも、近いのではないかと思っている。

○それで、いまの私は、これを「たしかにそこにいるんだけど、そこにいない。」と書いていて、もう少し具体的には「スキマをつくる」と書いている。
さらに具体的には「縦(継承性)と横(共同性)をデザインすること」と考えていて、
今は継承性を持続させるための契約(責任)と、共同性を持続させるための共感(消費)を同時に発生させるための装置として、茶道の自主稽古の場を設計するため動き出している。
やりたいこととして、伝統的に政治の街だと思われている(そこにいるほとんどの人もそう思っている)永田町を、ハックしている企業たち・表向きは従順なふりをしながら裏でいろいろたくらんでいる企業たちの、このハックしている動きを捉えたいとも思っている。

○これまで、いろいろな言葉で表現していたけど、頭の中から出したことはなかった。
でもようやく少しずつ形づくってみたい(形づくれる)と思った。このブログはそのために書きたいと思っている。

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